
城山衛生材料の原点。
今やドラッグストアなどで手軽に購入できるようになったマスク。日本での歴史は、明治初期に始まります。当初、マスクは主に工場や炭鉱で働く方向けの粉じん除けとして使われていて、一般的なものではありませんでした。
しかし、1918年のインフルエンザ(スペイン風邪)の大流行をきっかけに、一般の方々の間でも注目を集めるようになります。その後もインフルエンザが流行するたびに、マスクの出荷量は増加していきました。
そして、時代とともにマスクのスタイルも変化していきます。1950年には、それまでのマスクに代わる新たな形として、日本初のガーゼマスクが誕生。城山衛生材料の創業者である城山光也がガーゼマスクの製造に着手したのは、それから2年後の1952年のことでした。

ガーゼマスクから不織布マスクへ。
ガーゼマスクが広く使われるようになる一方、1972年ごろ、日本でも不織布製プリーツマスクの原型がつくられ始めました。
当初は一般家庭向けではなく、主に医療・手術の現場で使われるものでした。それが1980年代に入ると、スギ花粉の飛散量が増えたことや、粉塵への関心の高まりとともに、暮らしの中へと広がっていきます。
こうした時代の変化とともに、城山衛生材料のマスクも、ガーゼ製から不織布製へ。より使いやすく、さまざまなニーズに応えられるマスクづくりへと進化していきました。

ミツヤファクトリーの誕生。
ガーゼマスクの需要の減少とともに光也の工房は稼働を止めましたが、長年の経験による専門知識と高い技術力は今日の不織布マスクにしっかりと受け継がれていきます。
表裏を気にせず使えるリバーシブルタイプ、長時間着けていても耳が痛くなりにくいマカロニ構造(中空)のゴム、眼鏡が曇りにくいマスクなど、お客様の声に応えながら、改良を繰り返し、既存のマスクに新たな風を吹き込み続けてきました。
既製品で応えられないニーズに対して、長年培ってきた技術とものづくりへの情熱をもってお応えする。その想いを込めて立ち上げた不織布製品のオリジナルブランド。それが、創業者の名前を冠した「ミツヤファクトリー」です。

つながった縁と引き受けた責任。
そして、2026年には、縁あって同業者として長きにわたりマスク作りに取り組み続けてきた大里衛生材料製造所の事業を、城山衛生材料株式会社が引き継ぐこととなりました。
化学物質や香りに敏感な方々の不安に寄り添い、お客様一人ひとりに対して誠実かつ丁寧な対応を重ね続けてきた、大里衛生材料製造所。その姿勢を守り、お客様に変わらず製品をお届けすることは、私たちの責務でもあると考えています。

今を見つめ、未来を見据える。
一方で、マスクメーカーを取り巻く情勢は、決して明るいものばかりではありません。コロナ禍が収束し、マスク需要が落ち着きを見せるなか、製造業者には新たな価値創造や事業展開が求められています。
城山衛生材料株式会社もまた、培ってきた不織布製造や抗菌加工の技術を活かし、さまざまな取り組みを進めているところです。
決して大きくはない会社だからこそ、一人ひとりが責任感と裁量権をもって、自由なチャレンジができる。それこそが、私たちの強みでもあります。

飽くなき挑戦は続いていく。
知識も、技術も、つながりも。これまで積み重ねてきたものは、そのすべてが城山衛生材料株式会社の財産です。
今後もマスク作りを事業の根幹に置くことに変わりはありませんが、同時に培ってきた財産を大切に守りながら、それらを活かしてお客様に新たな価値も生み出していきたいと考えています。
不織布や抗菌技術を活用した商品開発や、マスク輸入時のコンテナの利活用、中国工場とのコネクションによるシナジーの創出など。現状にとどまることなく、さらなる成長を遂げられるよう、全力を尽くしてまいります。